「癒しブームの考察」

第3章;両ブームの特徴、共通点、問題点



●癒しブームの特徴

 「癒し」という言葉の由来や、意味や、使われ方について考えてみようと思う 。

「癒し」を広辞苑でひいてみたが、には掲載されていなかった。そこで、動詞の 「癒す」をひくと、「癒す=動詞;病・飢渇や心の悩みなどを直す」とあった。

 神澤創氏は「人間関係と癒し」のなかで、「癒し」という言葉について、以下 のように述べている。
 「癒し」という言葉は以前からあった日本語ではなく、英 語のヒーリング(healing)を翻訳するために作られた造語だろう。次に、healing をひいてみる。「healing=形容詞;(傷・病気を)直す、治療の。直りつつある 、回復中の。名詞;治癒、治療法」と記されている。「heal=動詞;治す。解決 する、和解させる。清める、浄化する」healの名詞形であるhealth(健康)は、 私たち日本人にもなじみのある言葉だ。また、healの元になった古い英語のhale (中世)や、hal(古代)には、「欠点(損傷)のない、無傷の、損なわれていな い」や「全体、そっくりそのまま」を意味するwholeの意味が含まれていたようだ 。以上のことから考えると、「癒す」とは、元の完全な状態に戻すということな のだ、と。  

今、「癒す」ということが注目されているのは、「癒し」を求める人達は、取 り除きたい「痛み」があるというふうに、自分たちでは思っているということだ ろう。「癒す」とは、“元の完全な状態に戻す”ことで、いきなり全く違う状態 (自分)になることではないのである。

何が苦痛(原因)で、何を取り除きたく て(方法)、自分はどういう風に変わりたいのか(目標)、私たちは、自分自身 でちゃんと把握しておくべきだと思う。言い換えると、なぜ癒されたいと思って しまうのか、状態を改善には自分が何をすれば良いのか、自分の目指す状態とは どういうものか、を自分自身で納得したうえでの「癒し」なら、それぞれの人の 成長として意味があるようにも思われるのだ。  

しかしながら現代の若者は、「今の自分に満足できない」「今の自分に納得で きない」という程度の問題意識はあるものの、「本当の自分」を見つけたら、あ っという間に自分は変われる!・・・と思いこんでいる部分と、「今のままの自 分でいいじゃないか!」「別にこのままでいいや」と、妙な現状肯定に流れてし まいがちな部分があるように思う。

「すばらしい私」を手に入れられたら、とい う願望(妄想)に依存しすぎ、現実的に「自分を変えるのは自分自身」であるこ とを失念しがちになってはいないだろうか。「今のままのあなたがすばらしい」 などと自分に意味を見出してくれる人を求めてしまったり、「こだわらないとこ ろがかっこいい」などと無気力に陥ってしまったりしてしまい、自分(や自分の 人生)に意味や実感を見出すのは自分自身だということを失念しがちになっては いないだろうか。

そこに、現代の「癒しブーム」の持つ性格として、「与える」 側面があるため、安易な満足感や肯定感や実感を求めて、私たちは「癒し」に群 がってしまうのではないだろうか。

 そのような、自分に対する問題意識が中途半端な点と、現実の自分からの現実 逃避をしがちである点と、他人に依存してしまう点、無気力に陥ってしまう点、 そのすべてに詰めの甘さが見え隠れするが、それらに共通して言えるのが、「危 機感の欠如」と「甘え」ではないだろうか。そしてその「危機感の欠如」と「甘 え」が、現代の癒し「ブーム」を支えているのではないだろうかと思う。



●ホラーブームの特徴  

シネマコロジーという言葉を耳にしたことがあるだろうか。私は、この言葉を 、PHP増刊号(p90)の「心を癒す映画紹介」のコーナーで始めて目にした。

そ のシネマコロジーについて、「映画やドラマを観終わった後、自然と心が癒され ていることがあります。これは、作品の登場人物に自分自身の姿を重ね、心の奥 にある色々な感情に気付く“投影法”のひとつで、シネマコロジーと呼ばれるヒ ―リングです」と記してあった。

 この記事では、いかにも「癒し系」の心温まる映画を紹介するというのが主旨 だったが、いかにも「心あたたまる」作品(動物もの・童話・人間ドラマ)でな くても、それこそミステリーや恋愛もの、コメディー、ドキュメンタリーでも、 私たちが、自分自身を“投影”し、感動したりする可能性が含まれていることは たしかだ。

ホラーについても、ホラー小説や映画の登場人物に「癒された」と実 感するひとは少ないと思うが、ホラー作品に出てくる人間を怖いと思う瞬間、私 たちは、その「怖い人間」と距離を取りつつ、自分自身と重ねて見ている一面も あるのではないだろうか。  自分自身と重ねてみるとき、「怖い人間」とは自分は違う、という安心感を得 ることも出来るし、「怖い人間」の気持ちもなんとなく分かる、自分だけがオカ シイんじゃないんだという、共感も得ることが出来ると思う。そのような2つの 気持ちが入り混じって、「怖い人間」を描くホラーは、受け入れられているのだ と思うし、面白い!と興味を持って迎えられ、ブームにまでなったではないかと 、思う。

 1998年に発行された「このホラーが怖い!」という本(参考文献18)の なかで、ホラー通の作家・評論家・ファンの人々にアンケートをとり、1位5点 〜5位1点として回答を集計しベスト10を選出したランキング表で、「このホ ラーが怖い!映画部門」のベスト1は「CURE」(98)、「国内ホラー小説部門 」のベスト1は「黒い家」(角川書店/貴志祐介、2000年に映画化された)が選 ばれていた。

これらは主に、人間の異常心理が事件を引き起こしていく映画だっ た。  国産のホラー小説や映画を併せてホラージャパネスクと言ったりするそうだ。 既にエンタ―テイメントの一分野として確立された感があるが、日本ホラーがブ レイクしたのは、1990年代に入ってからである。

日本人は本来、「呪い恨み 系」のホラーが好みだったと思われるし、それまでも日本ホラーの伝統は受け継 がれてきたが、それを支持してきたのは、一部のカルトなファンだった。それが 、1993年の角川ホラー文庫の創刊と日本ホラー小説大賞の創設をきっかけに 、ホラーは一般に受け容れられるエンタ―テイメントとして認知されるようにな った。

「リング」(1991、後にTVドラマ化、映画化された)をはじめとす る鈴木光司の3部作や、瀬名英明の「パラサイト・イヴ」(映画化されたが評判は よろしくなかった)は、そうした動きの中から生まれたベストセラーであるここ とは想像に難くない。

 角川ホラー文庫は、創刊時、伝統的な怪奇箪だけでなく、「怖ければホラー」 という姿勢で新しいホラー観を提唱し、ホラーという言葉をひとつのジャンルを さす名称として、一般に定着させることをもくろんでいたという(参考文献18 、対談「角川ホラーの秘密を話そう!」宍戸)。

いったんさまざまなジャンルに 大風呂敷を広げた上で、ホラーとして生き残っていったのは、「サイコホラー」 であったようである。サイコホラーとしてカテゴライズされるのは、「心にゆが みを持つ人間」を描くホラーのことである。  ひとことでいうとすれば、ホラーとは、ひとを「怖がらせるもの」であると思 うから、人々がサイコホラーに興味を持っているということは、身近な人間(異 形と反対の意味での)のこちらからは伺い知れない心理を、怖い、と日々感じな がら暮らしているからであろう。

人々が今ホラーに求めているのは、純粋な「怖 さ」だけでなく、極限状態で気付く「生きる意味」や問題行動に走ってしまう「 異常な心理状態」についての説明、なのではないだろうか。  人間を描く際、常人より、異常な心理状態の人間の方が「人間」の危うい側面 を描きやすいという側面はある。

心への関心が高まり、人間の心理に興味を持つ 人が増加し、サイコホラーというジャンルがホラーとして広く受け容れられるよ うになったのではないだろうか。人間を「描く」作品も、極限状態の方が人間を 描きやすいため、突き詰めると「人間ドラマ」が「ホラー」という形になってし まうのかもしれない。  私たちが人間の心理に興味を持つようになったのは、当然、社会を反映しての ことである。現在、ちまたでは少年による凶悪犯罪があとを絶たない。

 2000年の冬、公開前から「バトルロワイヤル」が大変話題になっていた。作品 の設定が「中学生が無人島で殺し合う」であったため、15才以下の少年は映画 を見てはいけないという、R−15指定作品となってしまった。「影響を受ける とさらに犯罪に走る子供が増加するのではないか」と懸念している大人たちの心 配をよそに、中高生たちの「友情とかに感動する」「逆に命って大切だなぁって 思えてよかった」という感想を、TVの街頭インタビューやホームページの掲示 板でも、よく耳にする。

 TV番組「そんなに私が悪いのか?」のなかで、司会者に「こういうの見て、 影響受けたりしない?」とたずねられた、ゲスト参加の高校生が「そこまでバカ じゃない」と言っていたのが印象的だった。高校生の言葉を借りて言えば、R― 15指定扱いにまでなったのは、世の中の大人が青少年を「そこまでバカ」だと 思っている証拠だと思ったからだ。青少年を全員「そこまでバカ」と決めつける のは間違いだと思うが、なかには「そこまでバカ」になってしまう人もいる、っ ていうところに問題があると思う。

 大人たちが懸念している少年犯罪について、少し述べてみようと思う。  ちょっとしたことがきっかけで、感情のコントロールを失い、暴走してしまう 少年が増加している。彼ら「キレる」少年の共通点は、一見幸せに暮らしている 普通の子供、ということ。彼らには非行歴がなく、補導された経験もない、むし ろ性格のおとなしい優等生タイプの「いい子」が凶悪犯罪に走っている。

 損得や倫理をひとつの基準として社会生活を営んでいる大人たちが、これらの 少年犯罪の前で立ちすくんでしまうのは、凶行の裏に、既存の価値観への反発や 、愛憎のもつれなどといった「納得のいく動機」をみつけられないからである。

高校生による愛知のとおりがかりの家の主婦殺害事件では、主婦を殺した動機に ついて「殺人の経験をしてみたかった」と17才の少年は話した。ほとんど常識 的な倫理であるはずの、「殺人=してはいけないこと」という社会通年を軽く飛 び越えてしまっている。良きにつけ悪しきにつけ、社会通念に縛られて生活して いる大人たちは、それが殺人に見合うほどのことか、と首を傾げざるを得ない、 という状態だ。

 少年犯罪の原因として、それの多くは、人格障害(ノイローゼでも、精神病で もない第3カテゴリー)が挙げられてる。現代青少年の心の病理(人格障害)に ついて、町澤静夫氏は、発現の仕方は大きく二つに分けられ、一つは「衝動発散 型」、もう一つは「閉じこもり型」であると指摘している。(参考文献30)

 衝動発散型に属するのは、現代の大量生産大量消費社会が生みだした若者であ る。

日本経済が急速に成長した結果、世の中にモノが溢れ出し、欲しいものは何 でも与えられる時代になった。手に入れるための努力や我慢や忍耐、などという ものが必要なくなってしまったため、何かに耐えるという意識(や経験)が無い 分、衝動的になってしまったのである。

また、閉じこもり型に属するのは、不登 校や出社拒否をする若者である。

 彼らは傷付きやすいので、自分が大事にしても らえるところでないと行こうとしない。高学歴・少子化社会のなかで生まれ育ち 、過保護なため、容易に傷つき、「すべてから逃げる」ようになるのである。

 衝動発散型も、閉じこもり型も、しいて言えば「自我の弱さ」に端を発する。 耐える力が無くキレてしまう者も、逆境の中で自分を受け容れてもらう土台作り から逃げてしまう者も、自分の感情・自分自身をコントロールできていないので ある。コントロールする力が無いのは、コントロールする機能を持つ自我のはた らきが弱いためで、現代の若者は自我が弱くなってしまっているのである。

 父親の不在、少子化による母子密着または放任という家庭のありかた、学級崩 壊、教師の質の低下、ホラー映画や残忍なビデオゲームの影響、マスコミの少年 犯罪の取り上げ方、さらにバブル時代に幼少時代を送ったという社会背景など、 少年による凶悪犯罪には、これらが原因として語られることが多いが、実際には 単独で原因になるのではなく、いくつかの要因が複雑に絡み合っているものと思 われる。そのため、少年犯罪への対策も複雑となり、遅れがちである。



●癒しとホラーの共通点  

以上、癒しとホラーそれぞれについて見てきたが、私は、「癒し」が好きな人 =「ホラー」が好きな人、として捉えていきたいのではなく、両者は同質の原因 を持っているのではないか、というふうに考えていきたいのだ。

同質の原因を持ちな がらも、違う方向にベクトルが向いているため、社会的な現象としては関連が在 るようには見えなかったのではないだろうか、と思うのだ。

 自らを癒すことに興味を持つこと(癒し)と、他人の危うい心理に興味を持つ こと(ホラー)とを、「こころ」をキーワードとして考え、両者に共通している 原因として、「自我の脆弱化」を挙げたいと思う。

 「癒しブーム」の問題点として、先ほど「自分に対する問題意識が中途半端な 点、現実の自分から現実逃避しがちである点、他人に依存してしまう点、無気力 に陥ってしまう点」、に共通する「危機感の欠如」と「甘え」を指摘した。

 「ホラーブーム」の問題点として、「耐える力が無くキレてしまう点、逆境の なかでも自分を活かす土台を作ることから逃げてしまう点」が問題の心のゆがみ を持つ者が題材となりうる社会、つまり人間の「自分自身をコントロールする機 能の低下」した社会であることを指摘したいと思う。


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